第1回 押切蓮介(1979年9月19日生まれ)その4

氷河期世代でもあるポスト団塊ジュニア(1975年4月~1980年3月末生まれ)のあの人に、子供として過ごした1986年から1991年頃までの日本が好景気に沸いていたいわゆるバブル時代について、同世代が聞くインタビュー連載。第1回は格ゲーブームの90年代を舞台にしたコミック『ハイスコアガール』を『月刊ビッグガンガン』で連載中の漫画家・押切蓮介さんです。

<プロフィール>

1979年9月19日、東京都生まれ、神奈川県育ち。1997年、『週刊ヤングマガジン』にて『マサシ!!うしろだ!!』でデビュー。以降、ホラーギャグ、ホラー、アクション、ラブコメディなど、さまざまなジャンルの作品を発表。現在、『ゆうやみ特攻隊』(講談社/『月刊少年シリウス』)、『ハイスコアガール』(スクウェア・エニックス/『月刊ビッグガンガン』)、『ツバキ』(講談社/『ネメシス』)、『焔の眼』(双葉社/『漫画アクション』)を連載中。


ー漫画家を目指したのはいつ頃なんですか?

18歳の3月7日です。

ーそんな具体的な日までわかってるんですか(笑)。

最初は『週刊ヤングマガジン』の賞金が欲しかったんです。絵の勉強をしようとお金を貯めていろんな専門学校の体験入学に通ったんですが、全然なじめなくて。それで意を決して投稿したらすぐに編集者から連絡がきて、数カ月後にデビューできた。今思えば、賞金をもらいたいがために専門学校に通うというすごく遠回りなことをしていたのですが(笑)。

ー自信はありましたか?

ちょうどその時、『行け!稲中卓球部』が火付け役となって、ギャグ漫画が大流行してたんです。

ー『稲中』、めちゃくちゃ流行りましたよね。

当時の僕は、貸本でホラー少女漫画にハマってたんですよ。

ーどんな漫画ですか?

最近また買い直したのですが、この『老婆少女』とか『私の赤ちゃんを食べないで』『フランケンシュタインの男』ですね。

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ー楳図かずおや伊藤潤二の怪奇マンガのようです。

これが出たのはまさにバブル真っ最中で、既に『ドラゴンボール』とか始まってる時代。そう考えると時代的にはちょっと古くさいタッチ。

ー70年代のSFホラーというか。

そう、1990年代に入ると時代の感覚が変わるというか、こういう漫画が笑えるようになるんですよ。お化けがいきなり「うらめしや」って出てきても笑いにしかならない。

ー確かにタイトルからしてふざけてますね(笑)。

もう怖いというよりあまりに笑えるので、この笑いをギャグにしてホラーを描けないかと考えていたんです。それでホラーギャグというジャンルで描いてみたら、みんなが振り向いてくれたんです。

ー子供の頃からホラーが好きだったのですか?

映画版の「金田一耕助」シリーズはよくテレビで観ていて、最近DVD-BOXも買いました。小学生の頃は、人が死ぬシーンとか死体とかの残酷描写にしか興味なかったです。

ー小学生にしてそういうものに興味を持つのは、何かきっかけがあったのですか?

最大の原因はテレビで観た『ジョーズ』。僕は影響受けるとそれを絵に描いて気持ちを落ち着かせるというか、高ぶらせるというか、そんな変な部分があったんです。

ー自分の受けた衝撃をとりあえず残したいという衝動みたいな?

そうまさにそれ。なので初めて『ジョーズ』を観た時から、ずっとサメに人が食べられるシーンばっかり描いてました。それであまりに僕がそういう絵ばっかり描くので、ある日、学校の先生に親ともども呼び出されたことがあったんです。

ー何て言われたんですか?

「気持ち悪い絵を描くのをやめさせて下さい」って先生に怒られました。でもその時、僕の母親がこう言ったんですよ。「うちは家庭環境が悪いから子供なりのストレス発散をしてるんですよ。私はこれでいいと思ってます」って。

ーすばらしいお母様ですね。

その言葉には本当に助けられました。それが子供の想像力、創作力を掻き立てて、今の仕事につながってるわけですから。

ーいつ頃の話ですか?

小学3年生の頃ですね。その前にも、夏休みの自由研究で街の地図を描いて出したのですが、「地図なんかではなんの研究にもなりません」って怒られて。

ー子供にはこたえますね。

自由研究ってのは何を研究するか自分で考えてそれを形にすることが大事なのに、それを内容で否定されたのが今でも許せない。

ー僕なら「そうか自分が悪いのか」って思ってたはずです。

僕は反発しましたね。その時から僕は屈折していったと思う。さらにその頃に、僕は人と仕事をするのが無理だと気付いたので、今、漫画家になって良かったと思ってます。

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ー漫画だけでなく、音楽ユニット『怪奇ドロップ』でも活動されてますが、音楽もよく聴く少年だったのですか?

ウォークマンは持っていてよく聴いてました。一番CDが売れてた時期だし、いろいろ買ってましたね。ところで逆に聞きますけど、最初に買ったCDは何ですか?

ー大事MANブラザーズバンドの『それが大事』です。

格好つけてなくて好感度高いですね(笑)。僕は槇原敬之の『どんな時も』です。

ー負けてない(笑)。

ちなみにうちの兄は「洋楽しか聴かない」と格好つけてたくせに、聴いていたのはエンヤだったりしたんで。エンヤで格好つけられても困るし(笑)。それでその後、電気グルーヴに出会って。

ーやっぱり最初は電気ですか。

みんなそうですよ。そこから打ち込み系のテクノに走りました。

ー最後に、子供の目で見ていた、見えていたバブルの時代ってどんな感じでした?

バブルというか、子供の頃はお金をもらえたらめちゃくちゃうれしくて、何を買おうか本当に楽しみだった。子供だから使える額が少ないからこそ、お金をどう使うかに意義があった。たとえクソゲーを買っても、いかにその中に自分なりの楽しさを見出すかが大事だったんですよ。でも今の子たちはインターネットを使えば、面白いものがいくらでもタダで転がってるから、いかにしてお金を使わないようにすべきかが大事な気がする。漫画を買うこともそうですが、好きなものや面白いと思ったものに惜しげもなくお金を使ってたというのは、今考えると良い時代だったのかなって思います。

インタビュー・文/瀧佐喜登(1977年3月18日生まれ)


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