第2回 NON STYLE 井上裕介(1980年3月1日生まれ)その2

氷河期世代でもあるポスト団塊ジュニア(1975年4月~1980年3月末生まれ)のあの人に、子供として過ごした1986年から1991年頃までの日本が好景気に沸いていたいわゆるバブル時代について、同世代が聞くインタビュー連載。第2回はお笑い芸人として数々のタイトルに輝く一方、「よしもとブサイクランキング」など数々の負のランキングも総なめ。今年8月26日には個人初の著書『スーパー・ポジティヴ・シンキング』(ヨシモトブックス)が発行されたNON STYLE井上裕介さんです。

ent20131002_1井上さんハ?ナー

<プロフィール>
1980年3月1日、大阪府生まれ。お笑いコンビNON STYLEのツッコミ担当。中学生の時に出会った相方・石田明と2000年5月にコンビ結成。以来、2007年「爆笑オンエアバトル チャンピオン大会」優勝、2008年「オートバックスM-1グランプリ2008」優勝など、数々のタイトルを獲得。そして近年では「よしもとブサイクランキング」2年連続首位など、数々の負のランキングを総なめし、ナルシストキャラがブレイク中。8/26(月)には個人として初の著書『スーパー・ポジティヴ・シンキング』(ヨシモトブックス)を上梓した。


バブル時代と言えばジュリアナ、アッシー、億ション、深夜のタクシー争奪……。しかしそのどれもが大人の、しかも東京の文化のイメージに近い。そんなバブル時代を小学生の時に大阪で迎えた井上さんが経験した、バブル期の遊びとは……。

―バブルは86年からと言われてますが、大阪と言えばやはりその前年、85年の阪神タイガース優勝が大きいですよね?

もちろん、父親が阪神ファンで自分も知らずのうちに大好きになってました。父親もそうですし、学校の先生も阪神ファンで。阪神が勝ったその日は晩御飯が豪華だったり、先生が宿題を出さなかったり。

―僕もちょうどその頃の先生が大阪出身の阪神ファンで宿題がなくなりました(笑)。

だから知らず知らずのうちにみんながみんな阪神応援してたわ。

―当時の大阪の熱狂っぷりってのはどうでした?

阪神優勝の時は五歳だったんで覚えてないですけど、実家の斜め向かいの家が巨人ファンで。阪神巨人戦になると、阪神が勝つとうちが騒いで、巨人が勝ってると斜め向かいがうるさい。だから帰ってくる時わかりやすい(笑)。どっちが騒いでるかで試合の結果がわかるという。

―そして自宅では豪華な晩ご飯が待ってると(笑)。

そうそう。お向かいさんとは次の日には普通に話したりはしてるんですけどね。

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―テレビでは野球ばっかり観てたんですか?

家にテレビが一台しかないんでしようがなかったんです。父親がチャンネル権を握ってたんで。家で夜にテレビを観ると言ったら阪神戦というのが当たり前でしたから。

―当時はKKコンビ以来、PL学園が甲子園を盛り上げてましたが、それは観てなかったですか?

高校野球はあまり観てなかったですね。どちらかというと夏休みに『子供アニメ大会』みたいなのが放送されてて、6時間ぐらいずっとアニメをやってたんですよ。そっちに釘付けでした。

―どういったアニメを観てたんですか?

覚えてんのは『The・かぼちゃワイン』とか。さっき6時間って言いましたけど、それって当時の僕がそう思ってただけなんですけど。

―完全に体感時間ですね(笑)。

そう。子供の頃は時間が長く感じるじゃないですか?  体感時間と実時間でだいぶ違うと思いますが、でも5、6タイトルはあったと思う。『エスパー魔美』とか、『まじかる☆タルるートくん』とか。

―バブル時代と言うと東京には億ションが建ったり、タクシーが捕まらなかったりという現象があったそうなんですが、大阪はどうだったんですかね?

僕は小学生だったんで詳しくは知らないですよ。でも北新地のクラブでは一晩で何百万も使ったり、金回りは良かったとのちに聞きましたよ。

―ご出身は大阪のほぼど真ん中ですよね?

確かに梅田の隣の街でしたけど、親から梅田に行ったら危ないとか、あそこの堤防には絶対に近寄るなとか、行ってはいけないと言われてた場所が多くて。

―それって完全に親の都合ですよね?

そう(笑)。梅田とかの都会には書店とか玩具店とか、子供にねだられるような店がいっぱいあるので(笑)。だからあまり出歩くなとも言われてました。

―大阪と言えばオバタリアンがたくさん生息してるイメージでした(笑)。

オバタリアン! 普通にいましたね。僕らの日常が日本全国共通の日常じゃないってのを認識した時です(笑)。僕らの中のおばはんは通常でこれだったから、テレビで言ってるオバタリアンって何だよって最初は思ったぐらい。

―その中でも強烈な人っていました?

僕の地域は比較的強烈な人がいないとこだったのですが、「それ、動物園にいる動物の数超えてるやろ!」っていうぐらいのアニマルがプリントされたシャツを着てたり、上半身裸のおばはんも別の地域にはいましたよ。僕らの地域は宝塚よりなんで比較的上品なほうだった。

―洗練されたオバタリアンが?

いやいや(笑)。全身阪神カラーのおばはんぐらいはいましたけど。
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―じゃあ洗練された駄菓子があったんですか?

ないって(笑)。長い棒に丸の砂糖がついた『カステーラ』とか、『モロッコヨーグル』とか普通の駄菓子ですよ。

―たこ焼きはいくらでした?

いやいや、大阪でたこ焼きは買うもんやない! 親が作るのを食べるもん。

―僕は放課後に友達とたこ焼きを食べに行くのが好きでしたけど、井上さんは、行ってはいけないって言われた場所がそんなにあったらどこで遊んでたんですか?

学校のグラウンドはめちゃ狭くてヒエラルキーが存在してましたね。高学年になるまでグラウンド権がもらえない。だからお金持ちの友達の家に行ってゲームばっかやってました。

―自宅には『ファミコン』はなかったんですか?

ありましたよ。忘れもしない、一番最初に買ってもらったソフトは『超時空要塞マクロス』でしたね。えげつなく難しかったです。全然クリアできなくて。ほかにもめっちゃやりこんでましたよ。

―「ドラクエ」発売日には並びましたか?

僕は『2』からでしたけど、『3』の時、親に並んでって頼んだらめっちゃ怒られた。

―『ゲームボーイ』は?

『ゲームボーイ』版の『テトリス』を一人でもくもくとやってました。テンテケテンテケテンテケテンテケって音楽が今でも脳内で再生される(笑)。

―あれのレベルマックスってめちゃくちゃ速くなかったですか?

それでやるのが楽しんですよ。それクリアするとスペースシャトルが打ち上がりましたからね。

―ゲーム以外では何で遊んでました?

ミニ四駆は遊んでましたね。『ダッシュ!四駆郎』を読んで。

―好きなシャーシは?

『ダッシュ3号・流星(シューティング・スター)』! 改造してたなぁ。

―スポンジタイヤとかですか?

懐かしい(笑)。ミニ四駆って一台600円なんですけど、一回買ってもらうとなかなか次を買ってもらえなかったんですよ。そしたらどっかからハイパーモーターみたいなのが発売されて。それが確か500円ぐらいで、それ付けたらめっちゃ速くなるんで欲しかったな。母親にめっちゃねだったんですけど全然あかんくて。

―僕の場合は改造しても走らせる適当な場所がなくて、家でやってもすぐガン!ってどっかにぶつかったりしてました。

うちは近くに田宮模型のコースがあったんで、そこで走らせてましたよ。

―外で遊ぶっていうより、比較的インドア派だったんですね。

僕は大阪市の生まれなんですけど、割と閉鎖的に育ってきたんですよ。まぁ周りがみんな子供は出歩くなっていうぐらいの地域ですから(笑)。だから小学校の時は友達もみんな奥手というか大人しめで。だから恋愛とか性に関しても全く関心がなかった。それが高学年になってあの事件が起きて急に目覚め出すんですよ。

その3へつづく。次回更新は10月16日(水)予定です。

インタビュー・文/瀧佐喜登(1977年3月18日生まれ) 人物撮影/海老澤芳辰


Information

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―『スーパー・ポジティヴ・シンキング』。どんな内容の本ですか?

井上「考え方一つ変えるだけで楽しく生きられるよってことを書いています。いくつか選択肢を前にした時、どれが楽しいかってことを考えて選んでいけば、最終的に楽しい人生が送れるんじゃない? っていう提案ですね」

―Twitterやブログの炎上話とか聞くと本当にひどい言葉が飛んできているのに、スーパー・ポジティヴ・シンキングですよね。

井上「あれも、面白いと感じるのか凹むのか、とらえ方一つでものごと変わってくると僕は思うので。だったら僕は面白く返したほうが楽しいと思うんです」