E3現地レポート「Standing on the Edge.~E3、PS4、真にクリエイティブであること~」

news20140611

今年も6月10日~12日の3日間、米国・ロサンゼルスで開催されている世界最大級のゲームイベント「E3 2014(Electronic Entertainment Expo 2014)」。9日にはソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)が「PlayStation E3 Press Conference」で、「PS4」を中心にした最新情報を公開した。

すでに次世代機が発売されているため、今年のE3はソフト中心になると思われていたが、量・質共に予想を遥かに凌ぐものだった。先にカンファレンスを実施したマイクロソフト(MS)は、ハードやサービスには一切触れることなく、潔いくらい徹頭徹尾ソフトのみの発表に終始したが、「PS4」の新色や新サービスなどもそこそこ盛り込んだSCEの発表のほうが、むしろソフト一色に思えるほどだった。
改めて感じるのは、いかにローンチで市場を制圧することに大きな意味があったか、ということだ。今回のSCEのカンファレンスでは「PS4」オンリータイトルだけでなく、これまでならMS陣営で先にリリースが出てもおかしくないようなタイトルまで「PS4」側で発表されている。まだまだ主要ソフトのマルチ展開は続くだろうが、勢いの差は次第に明らかになっていくのではないか。
また、「PS3」から「PS4」への移行が加速していることも実感させられた。新しいハードを買う際の重要な判断材料のひとつは、今後そのハードを中心にソフトが供給されるかどうか、にある。今回の新規タイトルの大量投入は、たとえ発売じたいが先のことであったとしても、十分な安心感を与えるものになったはずだ。ローンチを制した意味が、ここにあるのだ。

SCEワールドワイド・スタジオ プレジデントの吉田修平氏が現地でのインタビューでも語っておられるように、今回のカンファレンスでは、昨年のような明確な「インディーズ推し」はみられなかった。むしろ意図的にうまくブレンドした戦略的な発表だったように思う。これはE3会場でのSCEブースの実機配置にも如実に表れていた。昨年のように一角にインディーズゲームを集めるのではなく、大手の開発するタイトルと同様に、ごく自然に並べられていた。
そもそも「インディーズ」という言葉じたいには、さまざまな解釈があり得る。「PS4」では、これまでのコンシューマ機よりもPCからの移植が容易になったことで、大規模な開発ラインを持てない独立系の小規模な開発チームでも、作品を世に出すことができるようになってきた。そうした、メジャーな開発会社に対する「インディーズ」という図式がひとつの解釈であり、ローンチ時に「PS4」の特徴をわかりやすく表現する役割は果たしたように思う。
だが、もはや開発規模や環境、流通形態だけで分類することじたい、意味がなくなりつつある。むしろゲームのクオリティだけを見れば、大手と遜色ない作品も登場し始めているのだから、本質はそこではないように思う。
「インディーズ」は規模ではなく、志や作家性でこそ語るべきではないか。マーケティングに頼ることなく、クリエイターの志やアイディアを活かした実験的な作品づくりこそがインディーズ魂であり、それは会社の規模とは別の話ではないかと思うのだ。従来とは違うさまざまな新機軸のゲームを生み出してきたのが「PlayStation」の歴史でもある。お膝元のSCEこそ、インディーズゲームを得意としてきたのだから。
実際に会場を回ってみて感じたことだが、こちらでは思った以上にメディアやユーザー側に「インディーズかどうか」は意識されていないように思う。それに対して日本では、ともすると「大手有名メーカーのパッケージソフト」に対する、「中小規模のメーカーによるダウンロードソフト」、それが「インディーズ」……のような安易な二元論に陥りかねない。そういうことじゃないんだ、という意識的な方向づけもこれからは必要になってくるだろう。
「規模や環境としてのインディーズ」から「クリエイティビティとしてのインディーズ」へと舵を切っていく、いいタイミングなのではないか。

E3を通してやや残念だったのは、SCEを除いた日本の大手メーカーによるタイトルが少なく感じられたことだ。これには当然、ビジネスとしての判断があるだろう。発売時期が年末や2015年であれば、露出タイミングはもう少し後のほうが効果的かもしれない。まだ見せるに足る段階ではないという現実的な問題や、あくまでも今回は北米市場向け、という割り切りもあるのかもしれない。
でも、E3なのだ。世界のゲームファンの目が集まる最高の舞台で、日本のメーカーが勝負しないのは寂しい気がする。
敢然と挑んでみせた、ひとりのクリエイターをのぞいては。

ここからが、今回どうしても書きたかったこと。
SCEのカンファレンスでは、バラエティ豊かなタイトルが、これでもかというくらいお披露目されたが、明らかに他とは異質な輝きと熱を放っているタイトルがあった。コナミの小島秀夫監督による『METAL GEAR SOLID V: THE PHANTOM PAIN(以下『MGSV:TPP』)』である。
カンファレンスで流されるPVというのは、作品のグラフィックスの凄さ、ゲームシステムの新しさや面白さ、キャラクターの魅力などを紹介するものがほとんどだ。PVをつくるときには、たぶん「いかに凄いか、いかに面白そうかを、どうわかりやすく伝えるか」に主眼が置かれるはずだ。いわば「ダイジェストでベストなテイクづくり」である。
ところが『MGSV:TPP』のPVは、ゲームのセールスポイントである広大なオープンワールドや、細やかに仕掛けられたゲームシステムの魅力には一切触れず、物語やテーマのみが、燃え盛る火の塊のように観る側に投げつけられている。全編で流れるマイク・オールドフィールドの絶唱「Nuclear」はひたすら濃密で、ひたすら力強く、そしてどこまでも哀しい。
小島秀夫というひとりのクリエイターの情念が迸る凄まじいPVだった。
なんというPVをつくってしまうのか、この人は。
小島監督はつねづね「世界と戦う」という言葉を口にしてきた。大規模な予算と開発環境の進化によって、かつて「洋ゲー」とやや軽んじられてきた海外のゲームは、技術だけならとうに日本のゲームを凌駕しているかもしれない。そんななかで、彼は“商品”ではなく“作品”としての戦いを挑み続けている。
映画や文学や音楽さえも包含したゲームというインタラクティブな舞台で、物語や思想をどこまで表現し尽くすことができるか、感動をどこまで伝え切ることができるか。彼はそういう世界で、いつもギリギリの淵に立ち続け、戦い続けている。
欧米の大作群が豪華なグラフィックスを誇らしく見せつけるなかで、あえて魂を凝縮させたかのような怒りに満ちたPVを披露してみせた小島監督。
クリエイティブであり続けるというのは、こういうことだ。

『PlayStaion』公式サイト
http://www.jp.playstation.com

『METAL GEAR SOLID V: THE PHANTOM PAIN』公式サイト
http://www.konami.jp/mgs5/tpp/jp/index.php5

文・岡村尚正
(2014年6月10日,ロサンゼルスにて)