銭湯ジオラマで識る銭湯の“カタチ”

庶民文化研究家にして銭湯文化に造詣の深い、町田忍さんのコレクションをご紹介。町田さんとジオラマ作家・山本高樹さんとの共作による、精緻な「銭湯ジオラマ」を観察すれば、往時のライフスタイルも見えてくる!?

  • 庶民文化研究家
    町田忍(まちだ・しのぶ)

    1950年東京都生まれ。少年時代よりグリコのおまけやパッケージ、空きカン類など興味を抱いたものをとことん収集し、さまざまな文化や事象をあらゆる角度から徹底的に探求し続けている。テレビ出演、講演、著書多数。銭湯に関する著作も膨大。最新刊に『町田忍の手描き看板百景』がある。


1/25スケールで、昭和の風俗をリアルに再現

銭湯を探求して39年。屈指の銭湯研究家である町田忍さん。誰も……銭湯を気にしなかったころから、電話帳と地図を抱え、全国各地の銭湯を訪ね歩き、写真に収め、独自に研究を積み重ねた銭湯探求の集大成が「銭湯ジオラマ」だ。膨大な資料・文献・写真に則り、旧知のジオラマ作家である山本高樹さんとともにつくりあげたなかから、今回は3点ご紹介しよう。

まずは1958年(昭和33年)に建設された大田区の「明神湯」を。いわゆる銭湯らしいスタイルで、関東大震災後の復興時に誕生した「宮造り銭湯」「唐破風づくり」などと称されているもの。当時の設計図(青焼き)と写真資料をもとに再現し、人物フィギアも表情豊か。細部もリアルで、じっと見つめていると、ミニチュアの世界に引き込まれてしまいそう。外には、愛用のカメラ=ニコンFを持つ、町田さんのフィギアも! ちなみに、明神湯は今も現役。内部はリニューアルされども、その風格を見ることができる。

続いて「江戸期の混浴銭湯」を。“入り込み湯”ともいい、一階が浴室、二階は男性専用のサロンであった。性風俗店としての顔も持ち、あまりにも流行ったため、吉原からライバル視されたほど。色っぽくて艶かしくおおらかな、江戸の姿が見て取れる。ビラも、当時の浮世絵に基づき、忠実に再現しているが、すべて町田さんの手描き! この小ささもスゴイ。世界広しといえども、これほどまでに史実に忠実な「銭湯ジオラマ」はほかには存在しない! とくとご覧あれ。

 

入口

入口には暖簾がかかり、左右で男湯、女湯と分かれる。履物は、木製の下駄箱に入れる。鍵の“札”も木製で、現在も踏襲されている。

 

縁側

洋風建築が主流の昨今、なかなかお目見えできない縁側。枯山水の庭を眺め、湯上りの火照ったカラダを癒すスペースだった。

 

ペンキ絵

湯船の上にはペンキ絵が。最も数多いモチーフは富士山。大正期に洋画家・川越広四郎が描いた千代田区猿楽町のキカイ湯が元祖だ。

 

格天井

社寺に見られる様式で、釘を使わず材を格子状に組んだ。支輪を湾曲させて一段高くしたものを折上各天井という。優美な曲線が素敵。

 

木の桶

1964年(昭和38年)に、樹脂製のケロリン桶が出るまでは木の桶を使用。風呂椅子もなく、桶をひっくり返して腰掛けていた。

 

懸魚げぎょ

入口上部=唐破風の屋根の下にある飾り彫刻。“兎の毛通し”とも呼び、火除けまじないの役割も。鶴や龍など縁起物が彫られている。

 

薪割り

昭和30年代、湯を沸かす燃料は当然、薪。バックヤードでは大量の薪を割る姿も。女湯が見えるが、実際は見えないよう壁があった。

 

番台

扉横に設置された高い台。入浴料を支払い、銭湯内の秩序をパトロールする場所で、多くの男性の憧れの地。現在は貴重な存在だ。

 

タイル絵とビラ

客を楽しませるために描かれた。縁起のいい鯉が多い(鯉と「来い」をかけている)。近所の広告看板も貼られていた。

 

瓦屋根とトタン屋根

宮造りの銭湯には瓦が不可欠だが、建物全体に使用せず。浴室部分は柱がないため、重みに弱い。よって軽量なトタンを用いていた。

 

マッサージチェア

世界初の量産型マッサージチェアは1954年(昭和29年)に誕生。反対側のハンドルを回すとモミ玉が上下に可動する仕組み。

 

ボイラー

銭湯の心臓部も、図面通りに再現。薪を入れて湯を沸かし、薪の入れ具合で火加減を調整。“焚く”という言葉がマッチする佇まい。

江戸時代、各町会に一軒はあった銭湯。
浮世絵や物語の挿絵をもとに、見事にミニチュア化。
番台~脱衣場~湯船と「銭湯のスタンダードの元祖」がここにある!

 

一階 男女混浴和気藹々。おおらかな時代だなぁ。

  • 水が貴重なため、湯船はやや狭い。湯船も洗い場も脱衣所もすべて男女兼用。庶民はココで“お見合い”をすることも。
  • 湯船と洗い場は「石榴口」で仕切られていた。湯気を逃さないように高さ90センチほどしか開いてなく、かがんで出入りをした。
  • 箱の中には「毛切り石」が。身だしなみに気を使う江戸っ子は、ふんどしから毛がはみ出さないようアソコの毛を処理するのが当たり前だった。
  • 背中流しをする「三助」さん。
  • 神棚の下には脱衣棚。
  • 男女ともに気後れすることなく真っ裸に。男性の右、天井から「櫛」がぶら下がっている。
  • 茶室の水屋のごとく、カマドで沸かした湯を“洗い用の湯”として提供した。
  • 燃料は薪。薪代は非常に高かった。

 

二階 風呂上がり、男は二階のサロンでゆったりと。

  • 武士も銭湯を利用し「刀掛け」が用意されていた。鍵付きのロッカーも。
  • 芝居小屋と並び、銭湯はデートスポットのひとつ。ゆえに、男女が逢い引きする小部屋もあった。
  • 二階広間は休憩処、酒はNGだがお茶を提供していた。また昼は客の背中を流し、髪を梳き、お茶をサービスし、夕方ともなれば客をもてなす“湯女(ゆな)”もいた。
  • 男女別浴の銭湯では、一階の女湯を覗き見できる仕掛けがあった(このジオラマは混浴だが、当時の風俗を示すために“覗き窓&男性”を配置)。
  • 壁には落語や芝居を案内するチラシが貼られていた。
  • 道を歩く「犬」に注目。首に飼い主の名前を記した木札と路銀(旅費)を巻き、一匹で伊勢参りにでかけた「おかげ犬」。

“湯船”の語源になった!?
屋形船銭湯

徳川家康が幕府を開いて以来、水の都として栄えた江戸。水路が張り巡らされた町だからこそ、屋形船に浴槽を設えた、移動式の銭湯があった。これが“湯船”の語源になったという説もある。一般的な銭湯の料金が8文だったところ、屋形船銭湯は4文だった。

  • 船の中央部に浴槽を備えていた。人目を避けたい男女の密会にも重宝されたとか。
  • 薪で沸かす。法螺貝で来訪を知らせた。

  • 土手には夜鳴き蕎麦屋、柳の下には夜鷹……と情緒たっぷり
  • supervision町田忍
  • text山﨑 真由子
  • photo下城英悟(GREEN HOUSE)