伊藤嘉明の人生ムダ遣いのペンデュラム

1992年製の911ターボ憧れだった希少性の高い
ポルシェは走りを楽しむよりガレージで眺める存在だった。

アメリカの大学在学中に、父の仕事のお供としてドイツに行った。父の通訳をするという名目ではあったが、実際には父が私にビジネスを教えるための帝王学の一環だったのだろうと思う。大学ではマーケティング専攻をしていた私としては、父のビジネスに関われるという興奮と緊張でヨーロッパに向かう機内から、ずっと喉が強張っていたことを今でも鮮明に思い出す。

そして1992年の夏、興奮と緊張が入り混じったままドイツ連邦共和国南西部のバーデン=ヴュルテンベルク州の州都でもあるシュトゥットガルトに降り立った。シュトゥットガルトはドイツを代表する工業都市であり、ジャーマンエンジニアリングの権化でもあるダイムラー、ポルシェ、ボッシュなどの世界的企業の本社があることで知られる。そしてこの出張の目的地は、まさにポルシェ本社を訪問することだった。1990年台前半は後のヒット商品であるボクスターやカイエンが出てくるずっと前であり、ラインナップとしては911一本勝負の時代だ。経営難がささやかれていたときでもある。それでもポルシェ本社についたときの感動は、今でもはっきりと覚えている。駐車場にはたくさんのポルシェが止まっていたし、当たり前のことなのだがあのかっこいいポルシェのロゴがあちこちで目に飛び込んでくる。ポルシェのエンブレムは、本社のあるシュトゥットガルトとバーデン=ヴュルテンベルク州の紋章を組み合わせたものとして有名だ。中央の跳ね馬はシュトゥットガルト市の紋章から。外側の左上と右下にある鋸の歯状をした模様はバーデン=ヴュルテンベルク州の紋章に描かれた鹿の角、右上と左下の赤い縞は知、全体の金色の地色は豊穣を表す麦の色。

ともあれ、父とそのお供できた大学生の私は、タイ王国に於けるポルシェの輸入総代理権を取得するべく当時のポルシェ極東・東アジア地区担当役員のヴォルカー・ゲンプト博士との打ち合わせに挑んだ。今思い返してみても父の通訳として参加しただけなのにめちゃくちゃ緊張した。こういう経験を早いうちにさせてもらったためか、それ以降社会人になってからも今に至るまで、大舞台でも緊張しなくなった。父には感謝しかない。

そしてその時にゲンプト博士がつけていたかっこいい腕時計が目に焼き付けられる。IWCとの提携で生まれたポルシェデザインの最大ヒット作となるオーシャン2000。もともとは旧西ドイツ軍からの要請で開発された時計であり、チタンケースを使用し、なんと2000mもの防水能力を持つ。初めて見たその鉛色の時計が何物なのか当時の私は知る由もないのだが、今思うとポルシェデザインと彫られた文字を見ていつかあの時計買えるようになりたいな、と思ったのがポルシェデザインをコレクションするようになったきっかけだ。あれから数十年経った今、私の勝負時計は何年も前からポルシェデザイン チタンクロノであり、大事な契約書にサインするときに用いるのもポルシェデザイン チタンのペンである。

かようにたくさんの興奮と憧れと緊張てんこ盛りだったポルシェ役員、ゲンプト博士との面談が終わった後、これでもかという極め付けの経験をした。彼のポルシェ911でドイツの高速道路アウトバーンで時速200キロでの走行を経験したのだ(当時はまだ速度制限がなかった)。ゲンプト博士が運転する緑色の911、助手席は父、私は狭い後部座席。スピードメーターは200キロ。周囲の車は完全に止まってみえる。あの不思議な感覚は今でも忘れない。興奮気味にゲンプト博士に質問した。「やはりポルシェの社員はみんな飛ばすんですか?」と。彼の返事は意外だったのでとても印象深く頭に残っている。「ポルシェの役員には決まりがあって、急いでいる時だけは飛ばしてはいけないのです」と。なぜなら人間の判断力、注意力はそういう時こそ落ちるので安全ではないため、だそうだ。急いでいる時こそ飛ばすものだと思っていたので、眼から鱗だった。憧れの世界有数のスポーツカーメーカであるポルシェでの初仕事、かっこいい腕時計に魅せられ、アウトバーンで200キロのスピードを経験し、書き切れないほどの素晴らしい経験をさせてもらった21歳の自分。いつかポルシェ911を買えるように頑張るぞ、と夢を見るようになった。社会人になり、頑張ってキャリアを築いていく中、ポルシェ社訪問から15年後に認定中古車でポルシェケイマンを全額ローン購入したのを皮切りに、仕事でアメリカ在住した時にカイエンV6を購入し日本に持ち帰り、その数年後にモンスターマシンのカイエン・ターボS、とポルシェの世界に入る。そしてあの大学時代から25年が経ってようやく、目標である911を入手する光栄に恵まれた。手に入れたのは初めてシュトゥットガルトに降り立ったあの年に製造された1992年モデルの911ターボ。色は世界でも10台しか生産されていないと言われているパールホワイト。当時ホワイトは不人気色であり、パールホワイトはポルシェファクトリーにスペシャルオーダーしないといけない特注カラー。全額ローンで入手しているので正確にはローン会社が所有していることになるが、とりあえず目標は達成できたわけだ。この2年間はハッピーに過ごしていた。

しかし最近私はあることに気がついた。父について行った時に体験したポルシェの衝撃以来、いつか必ず手に入れるぞと誓って頑張って所有したものの、タイプ964とも呼ばれるこの911はポルシェを代表するエンジン、空冷式である。’90年代半ばから世界の主流である水冷式エンジンの波に飲まれ、その独特なエンジン音、吹け上がり感、乗り味で親しまれた空冷式エンジンのモデルの中古車価格は異常なまでに高値沸騰した。程度のいい964は投機対象にまでなっているくらいだ。ノスタルジー満載で頑張って全額ローンで購入した私。世界でも稀な超希少オーダーカラーのパールホワイト、走行距離も3万キロ台、内外装ともに極上コンディションの911ターボは中古マンションを変えるくらいのローン金額である。こうなってくるとゲンプト博士のように通勤快速として乗る類のクルマではなくなる。憧れの車を数十年越しに手に入れたから乗り倒すぞ〜という話ではなくなっていたのだ。私が911ターボを所有しているのではなく、骨董品・美術品価値がついてしまった911ターボに所有されたのが私だったという笑えない事実。美術品や芸術品の類は、しっかりとした保管環境にて大切に受け継いでいくモノだ。オーナーは所有者ではなく、管理人としてその資産を後世に引き渡す責務がある。そんな事気にしないで乗り潰すぞ! というほど私は肝っ玉が大きくない。ぶつけたらえらいことになる、とビビってしまうので常に緊張して乗らないといけない。長い年月イメージしていた911ライフとはかけ離れているのである。よって、私の911ライフ、もっぱらガレージで美しいボディを眺めて悦に浸る、という流れ。なんだかなぁ。これも人生万事振り切るが価値。伊藤嘉明の「人生ムダ遣いのペンデュラム」でした。


text : 伊藤嘉明
X-TANK CEO。世界のヘッドハンターが動向を注視するプロ経営者。著書『どんな業界でも記録的な成果を出す人の仕事力』(東洋経済新報社/1620円)など。