「いただきます」の意味がわかると、ごはんの時間がもっと大切になる|親と子のブックシェルフ

本屋さんはワンダーランドだ。ネット書店は目当ての本や雑誌を手に入れやすいし、リアルな書店は自分の知らない世界へと導いてくれる。しかも、本棚にギュッと並べられ、積まれた作品は、子どもたちにとって最高のエンターテインメント。そんなワンダーランドから“子どものため、自分のため”に連れて帰りたくなる本。2冊目は、『うちは精肉店』。

「ねぇ、ねぇ。お肉ってどこからやってくるの?」なんて聞かれて慌ててしまったこと、ありません? でも、なんで慌てたんだろう……。 

東京に住んでいる人ならば、全国各地の畜産農家から芝浦の食肉市場に集まった牛や豚を解体して……となる。けれども、そこにはさまざまな事情があって、ちゃんと理解しているワケでもないのに、なんとはなしにタブーに感じてしまうことがあるのかもしれない。

はたまた、“生きていたもの”が、私たちヒトの“食べもの”になる。この「命をいただく」ということをどう説明していいのか。実は、自分自身が理解し、納得できていないから慌ててしまうのかもしれない。

だからこそ、ちゃんと知っておきたい、知りたいという好奇心もわいてくる。そんな折、書店の棚に見つけたのが、この写真絵本だった。舞台は大阪府貝塚市にある「北出精肉店」。

現在は一般に、いわゆる工場的な場所でヒトの手をかけず、機械やガスなどでと畜される。だが、江戸時代末期から代々続いた北出精肉店では、肥育(牛を育てること)し、と畜(解体すること)、精肉(私たちが食べる状態の肉)にするまでを行っていた。“行っていた”と過去形なのは、現在は肥育とと畜を辞め、精肉店として営業しているから。

北出さん一家を撮影し、文章を書いたのは写真家の本橋成一さん。『サーカスが来る日』(リブロポート)、『ナージャの村』(平凡社)、『炭鉱(ヤマ)』(海鳥社)といった写真集に垣間見える、本橋さんのハートフルな、でも冷静な世界は、間違いなく感嘆するはず。

そんな本橋さんの“目”がとらえた写真と文章を見ると、素直に“生きていたもの”が、私たちヒトの“食べもの”になる、という状況が分かる。センチメンタルな気持ちにもなり、家族で助け合う姿、職人ならではの包丁さばき、おいしくいただくことで生まれる笑顔、牛の皮が大きな太鼓の皮になる……など、ページごとに、深く心を揺さぶられる。

そして、合理化されている今の精肉事情が、“生きものと食べもの”の関係性を隠してしまっているのだなぁ……とも気づかされる。かつての私たちの暮らしでは、ニワトリを飼い、その卵をいただき、シメて食肉としていた。「命をいただく」ことの意義を肌で知っていたのだ。

それがかなわぬ今の時代。この写真絵本は、これまでの「食」、これからの「食」を考えてみるきっかけになるかもしれない。

『うちは精肉店』(農山漁村文化協会)
本橋成一 写真・文
価格:1728円