伊藤嘉明の人生ムダ遣いのペンデュラム

思い立ったが吉日と通称〝一本橋〟の屈辱に耐え大型バイクの免許を取得。
バイクは何台買っても輸入車1台分。

思い立ったが吉日——。

あるゴールデンウィークの二日目の朝だった。世の中は長期休暇の恩恵で、皆こぞってお出かけモードである。毎年恒例の高速道路渋滞数十キロのテレビ画面を眺めながら、バカだなぁと悪態を着くのも毎年恒例。そこでふと思った。このままでは、また何も生産的なこともせずにせっかくのゴールデンウィークが終わってしまう。まさしく思い立ったが吉日。スマホで最寄りの教習所を調べ、すぐに電話した。「このゴールデンウィーク中に免許が取れるならば申し込みます」と。電話口の方色々と調整してくれた後に、午前中にこちらにて申し込みできるならば、可能になるようスケジュール作りますとのことだったので、11時過ぎていたがすぐに自転車で飛ばしていった。こうやって私の自動二輪運転免許取得のジャーニーが始まったのだ。

無類の乗り物好きとして無駄遣い街道まっしぐらで来た私が、バイクの免許を持っていないことが意外だと思うかもしれない。諸々理由はあるが、若い頃は両親の反対、その後も家族の反対、二輪よりも四輪で充分に忙しいなど、なんとなくタイミングを逸して数十年経ってしまったのだ。

こちとら車歴長いし、伊達に歳食ってないし、二輪の免許くらいたいしたことないわ、とばかりに意気揚々とバイク免許を取るために、一日に何コマも詰め込んで通い始めたのだ。

自動車教習所にはドラマがある——。

顔見知りになった人は数名いた。私が受けたコマで一緒になった仲間たち、いやライバルの面々だ。かなり小柄な金髪鼻ピアスギャルの、おそらく18歳くらいの学生。シルエットは小太りだけどガタイはやたらデカい、秋葉原のメイド喫茶に通ってそうな二十代くらいの兄ちゃん。一昔前に流行ったビジュアル系バンドのボーカリストみたいな学生。愛想のないごま塩頭のおそらく四十代のおじさん。不安なのか人恋しいのかやたらと話しかけている三十代くらいの兄ちゃん。最も私の超絶詰め込みスケジュールの教習コースが進むにつれて会う事もなくなったのだが……。

教習車のホンダのバイクが数台並んでいて、今日はどれに乗れるのかな、というのはまさしく遊園地などで、どの乗り物に乗ろうかなとドキドキワクワクしているあの感覚と同じだと思う。最も車種も色も一緒だし、違いは車体についているゼッケンだけなんだけども。あのバイクがいいな、とかいや、あっちだなとか。わかってもらえるだろうか、この感覚。いや同じバイクなのはわかっているのだけど。でも楽しいのは最初だけだった。なんせ久しぶりに試験を受けたりするわけだ。不安と緊張でドキドキだ。教習開始時間より前について準備して待っている間のなんとも言えない重い気分。時間とともにこちらの気持ちとは裏腹に軽快かつ軽薄な音楽が流れ、教習コース内と待合所を隔てていたシャッターが上がる。その度に不安になるわけです、今日はできるのかな、と。私は声を大にして言いたい。世界広しと言えど、日本のバイクの免許取得は最も難しくかつ実際の道路では必要としないスキルレベルをはかる愚行。今すぐにでも廃止にすべきだ、と。そう、それは一本橋! 正式名称を「直線狭路コース」といい、平均台とも呼ばれている。長さ15メートル、幅30センチ、高さ5センチの直線路、教習では3メートル手前の停止線からスタートする。これを脱輪しないようにバランスよく決められた時間でわたるわけだが、早く渡りきると減点されるという意地悪なルール。嫌なことは早く終わらせてあげればいいのにと毎回思いながら挑戦していた。私はスラロームとか急停止とか急加速はどうってことなくできたのだが、この一本橋だけは本当に出来なかった。今思い出しても辛い。自分はとんでもないダメ人間なのか? お金を払ったのに免許取れないカッコ悪いおじさんなのだろうか、と。

先述した私のライバル、金髪鼻ピアスギャルは身長がかなり低いため、教習車のホンダCB400スーパーフォアを初日から何度もこけさせていた。そのうえ金髪鼻ピアスという強い自己主張と違い、小柄で華奢な為なかなかバイクを起き上がらせられない。そんな彼女を横目に見ながら、うん、この小娘には勝ったな、と優越感に浸っていたのは一本橋に来るまでであった。なんとこの金髪鼻ピアスギャル、事も無げに7秒以上かけてゆっくりとクリアしてしまった。かたや私はさっきの優越感のぶんだけ苦労しろと神様に命じられたかのように全く出来ない。たかだか5センチの段差がまるで30センチくらいあるように見える。脱輪して落ちたらサメに食べられてしまうような錯覚さえ覚える。私にとっては万里の長城の城壁並みに高くしか見えないし。そしてその城壁の両側には獰猛なワニか人食いザメがいる……気がする。こうなった時点で平均台になど乗れるはずもないし、乗れば乗ったで2、3秒ですぐ脱輪。この時の恐怖感、劣等感たるや……今までの人生でもワースト級の敗北感。金髪鼻ピアスギャルとは数コマ一緒だったのだが、彼女の前では私は一本橋、一度も成功出来なかった。私は小娘に完膚なきまでに叩き潰されたのだ! 当の彼女はおそらくこちらの存在さえ覚えていないだろうが、私にとっては一生忘れる事もない屈辱だろう。思い出しても涙なしでは語れないのである。とはいえ、こちとらだてに歳食ってないし無駄に生きていない。自分でも恐ろしいほどの執念で、ネットでノウハウビデオ観たり一本橋攻略ノウハウを書いたブログ等を読み漁ったりイメージトレーニングをしまくった。そして劣等感との血の滲むような戦いを制した結果なんとか免許は取得。二度と来るもんか! と誓って後にした教習所に3日後に舞い戻り大型自動二輪の教習に申し込んだのは欲しかったバイクが大型だったからというオチはおいといて。しかも一本橋、今度は10秒以上と難易度上がっているし。

その後は今までの時間を埋めるがごとくのオートバイ人生、まるでベンジャミン・バトンの数奇な人生並みに時間を早送りしているようなバイク遍歴。って、まだ2年経ってないけどね。バイクって車より安いから、買う時の言い訳が立てやすいのだ。なんせ何台買っても輸入車1台分だよ♪みたいな。でもバイクは危ないからあまり飛ばさないでトコトコ走るのが向いている私。こんな事ならカブくらいでよかったのかもしれない。

全てはあるゴールデンウィークの「思い立ったが吉日」から始まったのだ。この言葉にはなんとも言えないありがたみが魔術のごとく全ての行動を肯定できるようにしているのである。推測では、無駄と怒られながらも好きなものに時間とお金を注ぎ込んでしまう先人たちが家人に言い訳を使うために作った言葉に違いあるまい。


text : 伊藤嘉明
X-TANK CEO。世界のヘッドハンターが動向を注視するプロ経営者。著書『どんな業界でも記録的な成果を出す人の仕事力』(東洋経済新報社/1620円)など。