遺体写真や動画は真っ先に削除されるべき?情報社会のデータの扱い方を考える

米国人クズチューバーの炎上事件を咀嚼する

処理すべきは遺体写真か、撮影者の態度か、情報か。

遺体は圧倒的にショッキングだけれど、「常に」最優先事項なんだろうか?

2017年末、米国人ユーチューバーの男性が青木ヶ原樹海でカメラを回し、発見した自殺者の遺体を笑い飛ばして大はしゃぎした動画を投稿したのを覚えている人は多いだろう。

動画は国内外ですぐさま炎上して、公開停止となった。その後、男性は広告なしの謝罪動画と自殺予防啓発動画を投稿し、自殺予防団体に100万ドルを寄付すると発表。シリアスな表情で謝罪しているが、樹海に行く前に浅草や秋葉原で撮影した迷惑行為の動画は公開したまま。後日、全面広告禁止の制裁が追加されるに至った。

事前事後の姿勢を通してみても、同情や共感ができる人物とは到底思えないし、YouTubeによる当該動画の公開停止は至極まっとうな措置だったと思う。ただ、このニュースを知ったとき、喉の奥にかすかな引っかかりを覚えたのも確かだ。

問題の米国人YouTuberのページ。2018年1月に「So Sorry.」という謝罪動画を、その後、自殺予防団体へのインタビュー動画「Suicide:Be Here Tomorrow.」をアップ。それを挟むように、来日時の迷惑動画と活動再開告知動画のサムネイルが並んでいる。2月10日時点まで存続を確認。

遺体絡みの問題は巨大企業を例外的に動かす

グローバルなネットサービスの運営元は、ユーザーの表現の自由を守るために、たとえ大国の司法の要請があっても簡単には言うことを聞かない。だから各国で裁判が頻発している。にも関わらず、こと遺体動画に関しては例外的な早さでブルーシートをかけてきた。

2013年11月の出来事が典型的だ。カルフォルニア州に住む男性がグーグルマップの衛星写真で自宅付近を眺めていたところ、3カ月前に殺された14歳の息子の、まさに殺害された直後の姿が写っているのを目の当たりにした。

男性がすぐに削除依頼を出したところ、グーグルはこれを受諾。その月のうちに当該エリアの写真を最新のものに差し替えた。こうした措置の前例はなく、同社としても想定外の出来事だったが、状況を鑑みて特別に実施したという。

また、2014年8月にはイスラム国を名乗る男がジャーナリストを斬首する映像をツイートし、全世界を震撼させた。ツイッター社はすぐに投稿を削除し、その数時間後にはヘルプページに、遺族から要請があれば故人の写真・動画を削除すると書き加えてもいる。これも同社のそれまでの対応からすれば特例的な素早さだった。

やはり、個別にみると至極まっとうな対応をしていると思う。しかし一方で、グーグルのストリートビューに胸の谷間がはっきり写った姿が残ってしまったカナダ人女性が裁判を起こして勝訴したり(つまり、裁判を起こさなければならない事態まで発展したり)、不特定多数の誰かの一方的な報告によってアカウントを凍結されたユーザーがツイッター社に解除を申請しても何カ月も対応してもらえなかったりということは少なからず起こっている。

ダブルスタンダードというか、妙にアンバランスな感じがする。

サービスによっては何億という数のユーザーとやりとりするわけだから、当然完璧にはこなせない。個々で疑問が残る事例があったとしてもある程度は仕方ないだろう。にも関わらず、遺体絡みのリアクションだけが特例中の特例で迅速な処理がなされているような気がしてならない。その差が喉の奥で違和感を訴えてくる。

いや、感情的には理解できるところもある。そりゃ遺体写真や動画はショッキングだ。身内のものであれば迅速に削除してほしいのは当たり前だろう。

だけど、生きている人のプライバシーや名誉が毀損されかねない情報よりも、なぜ遺体絡みがはるかに優先されて緊急で処理されるのが普通であり続けるのか。それがさも当たり前のことのように全世界で見過ごされている雰囲気なのが、ちょっとヘンに思うだけだ。

衝撃が強すぎるゆえに遺体は特別であり続ける

確かに遺体や死体は古来から特別な存在だったと思う。

たとえば日本にも伝わる仏教絵画に、「九相図(くそうず)」という人が亡くなって腐敗して白骨化するまでのプロセスを描くテーマがある。当世の美女をモデルにしている作品が多く、生から死、有から無だけでなく、美から醜も盛り込むことでドラマ性を高めているのが興味深い。

それに西洋でも15世紀には、骸骨が様々な職業の生者と踊る絵画「死の舞踏(ダンスマカーブル)」が流行したし、罪人の死刑執行が一大エンタテインメントだった事実は、洋の東西を問わない。とにかく、有史以来、人類は人類の遺体に無関心ではいられなかったらしい。

けれど、昔は個人情報の概念がなかったし、インターネットという誰でも世界に情報が発信できる道具もなかった。今は生きている人を情報で殺せる時代だ。嘘の情報であっても殺せるし、親類縁者にまで累を及ばせられる。言ってみれば、情報が猛毒になりえる時代だ。遺体よりも喫緊の対応が求められる機会は増えている

古代だって、遺体処理は優先順位の高い仕事だったけれど、流行病が蔓延しているときは生きている人のための処理が優先されて、遺体を放置することはよくあった。情報の毒性が上がった現代も、遺体のショッキングさに翻弄されずに一旦深呼吸して優先順位を考える理性が必要な場面もあるんじゃないだろうか。

偽ニュース問題でSNS界隈が揺れる昨今、たまにはそんな感じで運営元も利用者も一緒に深呼吸してみるのもいいんじゃないかと思った。

古田雄介(ふるたゆうすけ):デジタル遺品の現状を追うライターで、デジタル遺品研究会ルクシー理事。著書に『故人サイト』(社会評論社)『[ここが知りたい!]デジタル遺品』(技術評論社)など。

『デジモノステーション』2018年4月号より抜粋。