死後に消したいデータ、ありますか?文学作品におけるデジタル遺品の扱い方

文学世界におけるデジタル遺品 取り扱い方は5年後に変わる?

死後のHDD消滅請負は文学世界でもメジャーになりつつある

恥ずかしいけど残しておきたい
その置き場所は時代とともに移り変わる

2015年3月にアルツハイマー型認知症により、66歳で亡くなった英国のSF作家のテリー・プラチェットは、「自分が死んだら未完成作品も一緒に抹消してほしい」と生前から側近のスタッフにお願いしていた。

その約束は2017年8月に、氏のHDDを蒸気式ロードローラーで粉砕するという方法をもって実現された。故郷の博物館に展示されたHDDの残骸は、人気作家がその作風通りにユーモアあふれる方法で遺志を貫いたことを世間に知らしめている。

作家が未発表作を抹消してほしいと遺言することは、今に始まったことではない(成功確率は別にして……)。ただ、最近は作品を刻む媒体に、紙の便せんや原稿用紙ではなく、パソコンのHDDを選ぶ例が増えているのは確かだろう。そんな世相を反映して、死後のデジタルデータの抹消をテーマにした作品も複数生まれている。

テリー・プラチェットの公式ツイッター。没後もスタッフによって更新が続けられており、2017年8月30日には遺言を決行する直前の写真がアップされている。未発表の10作品を含むデータを保存したHDDがまもなく破壊されるとつぶやいている。

死後のHDD破壊協約を結ぶリアルな関係性を描いた『沖で待つ』

「あのさ、一番やばいのはHDDだと思うのさ」
「ああ、それやばい。私もやだ」
「協約結ぼうぜ」

2005年下半期に芥川賞を受賞した『沖で待つ』(絲山秋子著)は、住宅設備メーカーで働く同僚との性別や生死を超えた友情を描いた短編小説だ。

生前、同僚の“太っちゃん”から、先に死んだほうのパソコンのHDDを残ったほうが破壊するという協約も持ちかけられる及川。予想だにしない事故で太っちゃんが亡くなると、及川は約束どおりにアパートに侵入し、家族にも知られないうちにパソコンからHDDを取り出して物理的に傷をつける。

そのままパソコンに戻してミッションを完遂するが、太っちゃんを二度殺しているような気持ちになったり、犯罪を犯した後ろめたさを感じたりと妙な心持ちになる――。パソコン内部の構造や法的なリスクまでかなり正確に描写されていて、主人公の心境にすんなり入っていける好きな作品だ。

ところで、なぜ太っちゃんは「一番やばいのはHDDだ」と思ったのだろう? 家族や友人に見られたくないような所持品は古今東西問わず誰だって持っているはずだ。昔の日記や性的なアイテム、秘密の趣味に耽溺した痕跡云々は、デジタル時代に始まったものじゃない。しかし、その手のモノは物体としては残らないデジタルという媒体と相性が良すぎて、アナログ世界から急速に移行している。そういうことなのだろうか。

指定されたデータの抹消を請け負う特殊稼業を舞台に展開する『dele』

12年後に刊行された『dele ディーリー』(本多孝好著)は、この疑問に大きなヒントを与えてくれる。

依頼者が亡くなった後、指定されたデジタルデータを遠隔操作で削除する。そんな仕事を稼業にしている坂上圭治と部下で相棒の真柴祐太朗を軸に、様々な人間模様を描くミステリー作品だ。2017年6月初版発行の作品らしく、キーアイテムとしてスマホやクラウドサービスが当たり前のように登場する。

『沖で待つ』と同じく、フィクション世界でも現実のデジタル遺品の状況をかなり正確に描写しており、謎が解けていく展開にテクニカルな説得力がある。

注目したいのは、抹消の対象がHDDではなくてデータとなっていること。太っちゃんがHDDの破壊を頼んだのも、HDD自体ではなくHDDの中身を抹消することが目的だったので、本質的には求める結果はどちらも同じだ。

ただ、坂上圭治が請け負うサービスはより容れ物と中身の区別がしっかりしている。パソコンのHDDを破壊したところで、別のところにバックアップが残っていたら元も子もない。スマホやクラウドサービスと連携するのが当たり前になっている、ここ最近のデジタル事情を反映したビジネスといえよう。

恥ずかしい持ち物の置き場所は最終的にどこに行き着くのだろう

これらの作品を通してみると、「できれば死んだあとに見られたくない持ち物」の置き場所がここ四半世紀のうちに大移動していることに気がつく。

かつて恥ずかしい持ち物はおしなべて物質的で、自部屋のさりげないところや会社のロッカーなど、秘密の隠し場所に人知れず置いておくものだった。それがパソコンの普及によってHDDというより都合のいいスペースが知れ渡ると、多くの人々は恥ずかしい持ち物をできるかぎりデジタル化してそこに押し込むようになった。そして、メイン端末の主流がスマホに移った現在は、クラウド上にデータを置くことが当たり前になっている。

実際、秋葉原のPCパーツショップでは数年前から個人向けのHDDの売れ行きが頭打ちになっているという。代わりに伸びているのが企業向けのストレージだ。データの置き場所はオフラインからオンラインに移行している最中といえるかもしれない。

ただし、だ。

この先、大抵のデータはオンラインに置くことが当たり前になっても、恥ずかしいデータの置き場所だけはオフラインが主流であり続けると個人的には思う。思春期の頃に書いた詩はやっぱりクラウドには上げたくない。見せたくないけど捨てられないようなものは、手元に置いて監禁しておくほうが安心する。

だから、オンライン保存が広まるなかで、オフラインはむしろ私的純度が増していくんじゃないかと思う。テリー・プラチェットが未発表作品の保管にクラウドサービスを使っていないのも、アナクロな感じはしない。自分の分身たる作品をため込む場所として、ごく普通の選択だったと感じる。

古田雄介(ふるたゆうすけ):デジタル遺品の現状を追うライターで、デジタル遺品研究会ルクシー理事。著書に『故人サイト』(社会評論社)『[ここが知りたい!]デジタル遺品』(技術評論社)など。

『デジモノステーション』2018年7月号より抜粋。